人獣共通感染症連続講座(山内一也)(第110回) 2001.1.18

BSEの起源についての新しい見解と牛についてのBSE検査法

1.BSEのスクレイピー起源説の否定:英国BSE調査委員会報告   前回(第108回)の講座で簡単に触れましたが、英国BSE調査委員会報告 が2000年9月に発表されました。アンドリュー・フィリップス卿Lord Andrew Philippsを委員長とするもので、通称フィリップス・レポートと呼ばれています。 アンドリュー・フィリップスはイングランドとウエールズにおけるNo. 2法律家だ そうです。  今回、報告書のCD-ROMを入手し、ひととおり眺めてみました。容量は383 MB、16巻から成り、全部で4800ページ近い膨大なものです。第1巻は知 見と結論(約300ページ)、第2巻はScience(250ページあまり)というタイト ルで科学的知見がまとめられています。  この第2巻にBSEの起源について、委員会の考え方がくわしく述べられて いますので、それをご紹介します。  結論は明確であって、BSEの起源は永久に分からないだろうということで す。それに加えて、推測として、スクレイピーから来たものではなく、もともと 牛に存在していたものが変異を起こしたという見解を明言しています。    1986年にBSEの存在が初めて見いだされた時、英国中央獣医学研究所 の疫学部長ジョン・ワイルスミスJohn Wilesmithは、疫学的分析から1987 年末にこれがくず肉を原料として作った肉骨粉により広がったものと推測し ました。この推測が非常に早い時点でなされたことを、フィリップス報告は高 く評価しています。この推測にもとづいて、肉骨粉の飼料としての利用が禁 止され、現実に英国でのBSE発生は著しく減少してきています。  ワイルスミスはさらに、肉骨粉に混入してBSEを起こしたのは羊で流行し ているスクレイピーであろうと推測したのです。ところが、フィリップス・レポ ートではこの推測は間違っていると断定されました。公式にこのような見解 がだされたことに私も驚きました。たまたま昨年暮れに、英国BBSRC (Biotechnology and Biological Science Research Council)の理事長のレ イモンド・ベイカーRaymond Baker教授に会った際に、この結論について彼 の意見を尋ねたところ、仮説は複雑なものより単純な方がよいというを感想 を述べておられました。これもひとつの見方かと思います。    ところで、ワイルスミスのスクレイピー起源説は、まず1986−88年にか けてBSEが初めて出現したものであるという前提です。次に1970年代か ら80年代にかけて肉骨粉を製造する、いわゆるレンダリングの工程がバッ チ方式から連続方式に変更され、さらに1970年代に有機溶媒の使用が 中止されたことが、もうひとつの前提です。とくに有機溶媒の中止時期がB SEの潜伏期から逆算して、これが原因になった可能性を重視しています。 もうひとつの要因として、当時、英国でスクレイピーの発生が増加していた ことです。このような複合要因がスクレイピーの肉骨粉への混入を招いた と推測したわけです。  ワイルスミスのスクレイピー起源説は広く受け入れられてきていました。 当時から、もうひとつの仮説として、牛の間にもともとBSEが存在していたと いうものがありましたが、これはあまり受け入れられませんでした。  フィリップス・レポートは後者に近い立場をとっています。  まず、ワイルスミスの説への反論として、1986−88年に発生してきたB SEは初発例ではなく、もっと以前からBSEは存在していたと述べています。 レンダリングの方式の変更はBSE発生には関係がなく、BSEはおそらく19 70年代に、多分、1頭の牛で遺伝子変異の結果、出現した新しい病原体 によるものと結論しています。その起きた場所はイングランド南西部だろう とも述べています。    BSEがスクレイピー由来であれば、スクレイピー・プリオンが、羊から牛へ と種の壁を越えて牛のプリオン蛋白をBSEプリオンに変えたことになり、牛 由来の新しいプリオンであれば種の壁を越える必要はないことになります。 どちらにしても大流行を起こした原因が肉骨粉であることは間違いありませ ん。     このような推論の背景について、私なりに考察してみます。 レンダリング方式の変更については、英国家畜衛生研究所のデイヴィッド・ テイラーDavid Taylorがレンダリング協会と共同でシミュレーション実験を行 っています。くず肉にスクレイピーを添加し、いろいろな方式でレンダリング を行って、スクレイピー感染性をマウス脳内接種で確かめたきわめて大規 模な実験です。その成績はVeterinary Record Vo. 141, 643, 1997に発表 されており、それによればバッチ式、連続式であれ、肉骨粉中にスクレイピ ー・プリオンが不活化されずに残っていました。さらに、有機溶媒処理を行 っても不活化されていません。ワイルスミスがスクレイピー起源説の大き な根拠とした有機溶媒処理は、スクレイピーの不活化には関係がないとい う結果でした。そこで、テイラーはスこの論文の中でクレイピー起源説は否 定的と述べています。なお、ついでですが、レンダリングで肉骨粉を作る際 に抽出される脂肪の部分、いわゆるtallow[注]獣脂はグリセリンをはじめ多く の医薬品の原料に利用されています。この獣脂の部分には、どのようなレ ンダリング方式でも感染性は見つかっていません。 [注] greaseも獣脂の意味ですが、レンダリングでの産物はtallowと呼ばれています。 くず肉を処理した場合、脂肪の部分がtallow、脂かすの部分がgreavesと呼ば れ、greavesの方から肉骨粉meat and bone mealが作られます。 また、現在少なくとも20株くらいのスクレイピー・プリオンがあります。ところ が、英国家畜衛生研究所のモイラ・ブルースMoira Bruceたちが行った近 交系マウスでの株のタイピング(本講座第57回)ではどれひとつとして、B SEプリオンの性状を示すものは見つかっていません。しかもBSEプリオンは スクレイピー・プリオンよりもはるかに熱に強い性質です。これらの知見も スクレイピー起源説に疑問を投げかけています。  一方、牛起源説は、かって米国で牛の死体を餌として与えられていたミ ンクにスクレイピーとは異なるBSE様のものが感染したらしいという報告に もとづいたものでした。今回のフィリップス・レポートはそれには触れず、単 に変異がかかわっている可能性を述べているだけです。これまで存在して いたBSEプリオンに変異が起きて病原性の強いものになったという考えの ようですが、はっきりは言っていません。 もちろん、この考えに科学的根拠はまったくありません。  牛起源説は、BSEが孤発性クロイツフェルト・ヤコブ病のように、動物でも 自然発生があるかもしれないという議論にも結びつく可能性があります。 これまでに見つかっている動物のプリオン病はすべて感染によるものです。 もしも自然発生があるとすると、ニュージーランドやオーストラリアのように、 何十年にもわたってスクレイピー・フリーの国の羊でもスクレイピーの自然 発生が起こる可能性があるかもしれないことになり、大変なことになります。 逆に人の孤発性クロイツフェルト・ヤコブ病は本当に自然発生なのか、それ とも生後、ある時期に感染因子にさらされたためではないかという議論もあ ります。    くどい議論になってしまいましたが、結局、現時点ではスクレイピー起源 説、牛起源説いずれも、それぞれを支持する科学的証拠はありません。単 なる推論に過ぎないことになります。ベイカー教授の言うように、法律家で あるフィリップス卿は単純な仮説の方を採用したのかもしれません。 2.BSE牛の検査  英国では1996年3月、いわゆる「狂牛病パニック」が起きた際に、肉骨 粉の飼料としての利用をすべての家畜に対して禁止し、それとともに30ヶ 月令以上の牛をすべて殺処分する方針を打ち出しました。これはOver Thirty Months Slaughter Scheme (OTMS)と呼ばれるものです。その根拠 はBSEの感染性が3才令以上の牛で初めて見つかることです。しかし、実 際には30ヶ月令の時に牛の歯並びが変わって年齢が見分けやすいため に30ヶ月が採用されたわけです。この方式で、昨年夏までに425万頭の 牛が殺処分されています。40万3000頭は直接焼却され、残りはレンダリ ングにまわされ、できてきた肉骨粉(約46万トン)と獣脂(20万トン)は廃 棄される予定になっています。 この方式はフランスやスイスでは、緩和された形で採用されています。すな わち、30ヶ月令以上の牛について、そのすべてではなく、病死または事故 死した牛について、屠畜場で異常プリオン蛋白の検査を行い、それらが陰 性の場合に限って食肉に回すという方式です。この検査は半日程度で結 果がでますから、その結果を待って食肉にまわすことになります。 なお、最近フランスでBSE牛の数が著しく増加している理由のひとつに、こ のような生化学的検査法が加わったことにより検出率が高くなったためと いう意見もあります。 この異常プリオン蛋白の検査法について、欧州協議会European Commission は4つの方法について評価を行い、その成績を1999年7月8日に発表して います。(The evaluation of tests for the diagnosis of transmissible spongiform encephalopathy in bovines)。それについてご紹介します。   評価にあたっては、自然感染で臨床症状が出ている牛の脳幹と脊髄を 陽性サンプル、BSE、スクレイピーともにフリーのニュージーランドで採取し た健康な牛のものを陰性サンプルとして、ベルギーの共同研究センターが 調整し、次の4社にコード番号だけをつけて配布し試験を依頼しています。 いわゆるブラインドテストです。そして、感受性(陽性と判定されたサンプル 数/既知の感染動物数)、特異性(陰性と判定されたサンプル数/既知の 非感染対照動物数)、希釈度、再現性の面で評価が行われました。その結 果を簡単にまとめると、以下のようになります。なお、それぞれの検査方法 の詳細は企業秘密もあって、くわしいことは発表されていません。 (1) Wallac DELFIA試験。  英国のE.G. & Wallac社が開発したものです。非競合免疫測定法(DELFIA) というもので、プリオン蛋白に対する2種類のモノクローナル抗体を用いるも のです。感受性は69.8%、特異性は89.8%、希釈度試験では10の1乗 (10倍)では検出されませんでした。 (2)プリオニクス・テスト   スイスのPrionics社のものです。ここはプリオン遺伝子の分離を行った Bruno Oeschが設立したものです。プリオン蛋白に対するモノクローナル抗 体を用いたイムノブロッティング(ウエスタンブロット)による蛋白分解酵素抵 抗性プリオン蛋白PrPResの検出試験です。感受性、特異性ともに100%、 希釈度試験では20サンプル中の15サンプルが10の1乗(10倍)希釈で 検出されています。検査時間は7−8時間。スイスでは定期検査に採用さ れており、1日に200頭が検査されているとのことです。 (3)エンファー・テスト  アイルランドのEnfer Technology社のものです。プリオン蛋白に対するポ リクローナル抗体を利用した化学発光ELISAです。感受性、特異性ともに 100%です。希釈度試験では、10の1乗(10倍)および10の1.5乗です べて陽性です。検査時間は4時間以内で、1997年に市販になりました。 1997年の野外試験では3000頭の脊髄サンプルが調べられ、発売後1 998年には15,000頭のサンプルが調べられているとのことです。 (4)CEAテスト  フランス原子力委員会(Commissariat a lEnergie Atomique)が開発した もので、バイオラド Bio-Rad社から発売されています。プリオン蛋白に対 する2種類のモノクローナル抗体を利用したサンドイッチ免疫試験による PrPResの検出で、検査時間は24時間以内です。ただし、オートメーション 化で短縮可能と言っています。感受性、特異性ともに100%、希釈度では 10の2乗(100倍)がすべて陽性、10の2.5乗では90%が陽性です。    このほか、いくつかのキットが開発されているようですが、現在ヨーロッパ で検討が進んでいるのは上記のものです。    ところで、前回ご紹介したフランスでのBSE騒ぎがヨーロッパ全体に波 及し、その結果、EUは30ヶ月令以上の牛はすべて異常プリオン蛋白の 検査を行い、陰性が確かめられないかぎり、食肉に回してはいけないとい う方針を決定したと伝えられています。EU加盟国すべてが実施するのか どうかは分かりませんが、今年の7月から実施のようです。  現在、スイスやフランスでは前に述べたように30ヶ月令以上の病死牛 と事故死牛に対してのみ実施していますが、今度は対象がすべての30 ヶ月令以上になるものと思われます。  どの試験法を採用するのか、EUで妥当と思われる試験法を正式に評価 して決めるのかはまだ、よく分かりません。上で述べた評価結果について も、これはヨーロッパ協議会の正式意見ではないという断り書きがありま す。  
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