人獣共通感染症連続講座(山内一也)(第116回 ) 2001.4.25

口蹄疫との共生

 英国の屠畜場で2月19日に発見された口蹄疫はオランダ、フランス、 アイルランドでも発生しました。大量の家畜の殺処分で山は越したのか、 最近ではあまり大きなニュースではなくなりつつあります。  私は著書「キラーウイルス感染症」の終わりを、根絶の世紀から共生 の世紀でしめくくりました。今回の口蹄疫の発生は、まさにウイルスとの 共生の問題を提示したものとみなせます。この視点を中心に口蹄疫の 問題を眺めてみたいと思います。 1.流行の原因ウイルス  口蹄疫ウイルスFoot-and-Mouth Disease Virusが正式名称ですが、 米国ではHoofs and mouth diseaseという名前にこだわっている人が今 でもいます。Foot(足)ではなくhoofs(蹄)に病変がでるためです。なお、 なぜ、日本語で蹄口疫にならなかったのかという質問を受けたことが あります。確かに順番が逆です。いきさつはまったく分かりません。  口蹄疫ウイルスには7つのタイプがあります。1922年に2つのタイ プのウイルスが存在することが分かり、フランスのオアーズOiseで分離 されていたウイルスがO、ドイツ(フランス語でAllemagne)での分離ウイ ルスがAと名付けられました。1926年に第3のタイプのウイルスが分 離され、Oと AはいずれA, Bになるものと考え、それに続けるつもりでC と名付けられました。しかし、実際にはそうはならず、その後の分離ウ イルスはSAT 1, 2, 3 (South Africa Territories)およびAsia 1となりまし た。  これら7つのタイプはさらに65以上のサブタイプに分けられていま す。それらの解析を行っているのは、英国家畜衛生研究所(パーブラ イト支所)に設置された世界口蹄疫レファレンスセンターです。ここの ニック・ノールスNick KnowlesたちがVeterinary Record 148, 258, 2001 とJournal of General Virology 82, 609, 2001に発表した論文をもとに整 理してみます。(なお、この所長のポール・キッチンは最近、カナダのウ イニペグに建設されたレベル4実験室の動物病部門の部長として転勤 しました。)  今回の原因ウイルスはO型に属します。このグループのウイルスは ウイルスの被殻にあるVP-1遺伝子の比較から、Middle-East South Asia (ME-SA), South-east Asia (SEA), Europe-South America (Euro-SA), East Africa (EA), West Africa (WA), Cathay, Indonesia-1 (ISA-1), Indonesia-2 (ISA-2)という8つの地域タイプ(topotype)に分 けられており、英国で発生したのはME-SA 地域タイプです。  これは、1990年にインドで最初に分離され、ヒツジやヤギの輸出と ともにサウジアラビアなど中近東に広がり、1996年までにトルコ、ギリ シア、ブルガリアに広がりました。1999年までにイラン、イラク、シリア、 イスラエル、レバノン、ヨルダンに広がり、それまで流行していたほかの 口蹄疫ウイルスと完全に置き換わってしまいました。  一方、1993年にはネパール、1998年にはブータン、1999年には チベットと中国の海南島、さらに台湾、ベトナム、カンボジア、タイ、マレ ーシア、ラオスに広がりました。  2000年3月には日本と韓国に発生しました(本講座96,99)。日本 での発生は幸い、宮崎県と北海道の3農場の牛に限られていました。 家畜衛生試験場を中心とした多くの人たちの努力で5万以上の血清が 調査され、感染が広がっていなかったことが確かめられた結果、昨年 9月末には国際獣疫事務局(OIE)から清浄国への復帰が認められまし た。  このウイルスは2000年には南アフリカに広がりました。これは極東 からの船の残飯が豚に与えられたためと推定されています。英国は南 アフリカから肉を輸入しているため、これが原因ではないかとか、南ア フリカからの飛行機の残飯を豚に与えたためとかうわさされています。  ともかく、このタイプのウイルスはこれまでの口蹄疫ウイルスにはみら れない、すさまじい伝播力を持っているようです。 2.口蹄疫対策の歴史  口蹄疫の発生は2000年前のギリシア・ローマ時代にすでにあったと 想像されていますが、はっきりとした記述は1546年にイタリアのフラカ ストロFracastroが牛での発生を述べたものが最初とみなされています。 その後、ヨーロッパでは牛の致死的ウイルス感染である牛疫の流行が あったため、1886年までは口蹄疫についての記載はあまり見あたりま せん。  その頃になり、口蹄疫が畜産の大きな脅威とみなされるようになり、 ドイツ政府の命令で病原体の分離を試みたのがフリードリッヒ・レフラ ーFriedrich Loefflerとポール・フロッシュPaul Froschで、1898年にウ イルスの分離に成功しました。これはタバコモザイクウイルスとともに、 ウイルス発見の第一号です。(本講座58回)  英国に口蹄疫が出現したのは1839年で、アルゼンチンから輸入し た肉や乾草についてきたものと推測されています。19世紀には地方 病として定着し、農民に大きな被害を与えてきました。そして1892年 から、発病した動物とその周辺のすべての動物を殺処分する方式 (stamping out)が始まりました。  ところが、1920年代に起きた発生では、殺処分対象の動物数が多 くなりすぎて、順番が回ってくる前に回復する動物が出始めて、農民は 殺処分に疑問を持つようになりました。殺処分するか、それとも口蹄疫 と共存するかという議論が起こり、議会での投票の結果、わずかの差 で殺処分が勝ったと伝えられています。これが現在まで続いているわ けです。  1951〜52年の大流行では殺処分の費用が30億円に達しました。 これが議会で取り上げられ、チャーチル首相がフランスのようにワク チン接種を中心に防疫を行った国の場合よりも、はるかに低い金額 であると弁明したと伝えられています。  1957年、OIEは口蹄疫予防のための国際条約を作り、これをきっ かけとして殺処分方式が国際的に定着してきたとみなせます。  殺処分方式を最初に始めた英国は、徹底してワクチン接種を回避 してきています。1967-68年の大流行では634,000頭が殺処分 され、ワクチンは用いられませんでした。これに反してオランダは殺処 分と発生地域周辺の動物へのワクチン接種(ring vaccination)を併用 してきており、今回の発生でも早い時点でワクチン接種に踏み切って います。次に述べるように口蹄疫ワクチンの開発で中心的役割を果 たしたのはオランダの研究者でした。そのような背景もかかわってい るものと思います。 3.ワクチンの開発  OIEは家畜伝染病について世界貿易機関WTOの諮問機関の役割を 果たしています。本講座(96回)で述べたように、口蹄疫が発生してワ クチンを接種すると、ワクチン接種した動物がすべて屠殺された後、 3ヶ月間、病気が発生しない場合に初めて清浄国に戻ることになって います。昨年の日本の場合にはワクチンは用いず殺処分のみで終息 できたので、きわめて短期間で清浄国に復帰できたわけです。  ところで、最初の口蹄疫ワクチンは1926年に感染した牛の舌を乳 剤とし、それを不活化することで作られました。1951年に、健康な牛 の舌の組織をタンクで培養し、そこでウイルスを増殖させる方法がオ ランダのフレンケル(Frenkel)により開発されました。これによりワクチ ンの大量生産が可能になりました。これはフレンケル・ワクチンと呼ば れ、オランダで大規模なワクチン接種に用いられて成功しています。  1965年からは、ハムスターの継代細胞であるBHk21細胞の浮遊培 養で大量のワクチン製造が行われるようになり現在に至っています。 このワクチンのおかげで、1965年にヨーロッパで年間約3万頭発生し ていたのが、1975年までに1000頭に減少しました。  しかし、現在のワクチンには次のようないくつかの問題があります。 (1)口蹄疫ウイルスには前に述べたように、7つの血清型があり、さら に多くのサブタイプがあるため、ワクチンは流行株に適合しなければ 効果がありません。時折、これまでのワクチンが効果を示さない新しい タイプのウイルスが出現することがあります。流行株に合致しないとワ クチン効果が期待できない点はインフルエンザの場合と同様です。 (2)ワクチン接種した動物でも感染することがあります。その際には 症状はほとんど出ませんが、動物はキャリアーになってウイルスを放 出してほかの健康な動物に感染を広げることがあります。 (3)不活化が不十分でウイルスがワクチンの中に生き残ってしまうこ とがあります。現実に1980年代にヨーロッパでこの事態が起きて、 それ以来、ヨーロッパでは口蹄疫ワクチンの使用は完全に中止されま した。ただし、現在の品質管理システムでは、このような事態が起こる ことはないと考えられます。 (4)もっとも重要な点は自然感染とワクチン接種の区別ができないこ とです。そのため、本講座(96回)でご紹介したような血清調査による、 口蹄疫清浄国の判定ができなくなります。  新しいタイプのワクチン開発は1970年代後半に組換えDNA技術が 生まれた際に、その応用問題第1号としてベンチャーのGenentechが 試みたことがあります。これはウイルスの被殻の蛋白VP-1を大腸菌 で産生させた、サブユニットワクチンでした。しかし、1980年代初めに できてきたワクチンは現行のワクチンよりも免疫力が弱く実用化には 到りませんでした。  その後は、殺処分という国際方式が存在している中でワクチン開発 をしても企業利益にはつながらないために、企業によるワクチン開発 はこの30年間ほとんど試みられていません。その間にほかのワクチ ンでは第2世代、第3世代ともいえる新しい技術が試みられています が、口蹄疫は取り残されたわけです。一部の国立研究所でDNAワク チンやベクターワクチンなどの新しいワクチン開発の試みが細々と続 けられているだけです。 4.マーカーワクチンの必要性  現在のように地球規模で物と人が移動する時代、これまでのように 殺処分方式だけで清浄状態を保つことはますます困難になってきて います。先に述べたような欠点を克服したワクチンを開発して予防す る方式がいずれ必要になると考えられます。  その際にとくに重要な点は、ワクチンになんらかの印し(マーカー)を つける工夫をして、自然感染の場合と区別できるようにすることです。 これは一般にマーカーワクチンと呼ばれるものです。  これには検出しやすい別の蛋白遺伝子を加えるか、またはウイル ス遺伝子のうち、免疫効果に関係のない部分を欠損させる方法があ ります。前者ならばワクチンを接種された動物で、その余分の蛋白に 対する抗体が産生され、後者ならば、欠損させた蛋白に対する抗体 はできません。これで自然感染と区別することができます。  先月、私はヨーロッパでこの領域の専門家と会って話しましたが、 やはりマーカーワクチンの必要性に賛成の意見でした。  現実には、現行の不活化口蹄疫ワクチンから一部の蛋白部分(ウ イルス粒子に含まれないところの非構成蛋白の部分)を除いたマー カーワクチンができてはいるようです。当面はこのワクチンでも大量 殺処分を回避できることが期待されます。  新しいワクチン開発の技術を応用すれば、それよりも高い免疫力 を持つ有効なワクチンの開発も可能と思います。口蹄疫ウイルスの 侵入は起こりうるという前提で、動物を大量に殺すことなく、感染の 広がりを阻止することを真剣に考える時代になっていると思います。 ワクチン領域ではそれだけの技術進歩はすでに得られているはずです。  
Topへ戻る
Zoonoses講義一覧へ戻る

Click here to Home Page