人獣共通感染症連続講座(山内一也)(第128回 ) 2002.4.23
BSE(狂牛病)と食品の安全に関する国際会議
スイスのバーゼルでBSE and Food Safetyに関する国際会議が4月17〜
19日に開かれました。これは、TAFS (The International Forum for TSE
and Food Safety)という2001年に結成されたNPOが主催した第1回会議
です。TAFSは、BSEを含むTSE(transmissible spongiform encephalopahty:
伝達性海綿状脳症、プリオン病の別名)のフッドチェーンへの影響について、
科学者、食品専門家、家畜衛生行政担当者、疫学者、臨床検査担当者、
食品製造業者、消費者などが、国際的な場で議論を行って信頼できる情報
を提供することを目的として設立されたものです。独立した国際的組織によ
る、BSEに関するこのような集まりは初めての試みで、世界各国から150名
あまりが集まり、活発な討論が行われました。
日本からは私のほかに学術会議から2名の会員(東大の唐木英明先生と
椙山大学の安本教傳先生)が参加されました。
会議の世話役はスイスのベルンにあるスイス連邦獣医局のウルリッヒ・キ
ムUlrich Khim博士です。この会議で発表された科学的知見のいくつかと総
合討論での話題の一部をピックアップして簡単にご紹介しようと思います。
1.変異型CJDの現状(ロバート・ウイルRobert Will)
彼は英国CJD調査委員会を設立し、初代委員長をつとめた神経内科医で
す。変異型CJDの最初の論文の筆頭著者でもあります。英国の変異型CJD
患者数は今年の4月の時点で、118名、死亡時の平均年齢は29歳(14〜
74歳)、平均発病年齢は28歳です。男性が63名、女性が54名(117名の
際の集計)と、男女差は見られません。患者数は3年ごとに倍増してきていま
す。今後もこの傾向が続くかどうかは分かりません。
これまでにプリオン遺伝子が解析された患者99名では、全員がコドン129
番がメチオニン/メチオニン・ホモのタイプでした。しかし、この遺伝子型が潜
伏期にかかわるものであれば、いずれはメチオニン/バリンのヘテロの人で
の患者の発生が予想されます。
変異型CJDでの不確実性として、彼は以下をあげていました。
1)どれくらいの人が感染を受けているか?
2)英国を初めほかの国も含めて、どの程度まで人へのBSEの暴露が起
きたか?
3)医療行為で2次感染は起きるだろうか?
4)大衆はBSEの危険性から十分に守られているだろうか?
若い人に変異型CJDが多い理由も不明です。74歳の患者の例もあります
が、ほとんどは20歳台です。若い人の感受性については、プリオンを高濃度
に含む特定の食品(たとえばハンバーグ)を食べたこと、または小腸のパイ
エル板を通じて病原体が輸送される効率が若い人では高いためか、などが
言われていますが、推測にすぎません。
2.BSEの伝達と発病機構(ダニー・マシューズDanny Matthews)
彼は英国ウエイブリッジにある獣医研究所(Veterinary Laboratories
Agency: VLA。中央獣医学研究所Central Veterinary Laboratoryが数年前
に改称されたもの。千葉のBSEウシの確定診断を行ったところです)でBSE
研究計画の責任者をつとめています。
BSEを経口感染させたウシの体内での病原体の分布を調べる実験は
1990年に開始され、その成績が現在のヨーロッパや日本での特定危険部
位の決定の科学的根拠になっています。
これは子ウシにBSEウシの脳乳剤を食べさせて、4ヶ月毎に2?3頭を解剖
して、さまざまな組織での感染性を調べるものです。12年目の現在でも、実
験はまだすべては終わっていません。全部で約350頭のウシを用いて12年
間かけて行うという、大変な実験です。ウシでのBSE感染実験の困難な面が
よく分かると思います。
実験は3段階で、最初はRIII系統のマウスまたはC57Black系統のマウス
で感染性を調べたものです。これは終了していて、まず、6ヶ月目に回腸遠
位部、ついで32ヶ月目以後に末梢神経節、脊髄、大脳などに感染性が見
いだされ、痕跡程度の感染性が骨髄に見いだされています。これらの成績
は私がこれまでに書いたいくつかの本でも述べてあります。
第2段階はRIII系統のマウスで感染性の検出を繰り返したもので、とくに新
しい知見は見られません。
第3段階は子ウシの脳内にサンプルを接種して感染性を調べる実験です。
ウシのBSEに対する感受性は種の壁がないため、マウスよりも500倍高い
結果が得られています(以前は1000倍といわれていましたが、データが蓄
積してきて、現在では平均500倍になっています)。そのため、ウシをマウ
スの代わりに用いるという大変な実験になったわけです。この実験では、重
要とみなされる15種類の組織(中枢神経系、末梢神経系、筋肉3部位、回
腸遠位部、肝臓、扁桃、脾臓、各種リンパ節、白血球、皮膚、尿など)につ
いて、子ウシでの感染性の検出を試みています。
子ウシへの脳内接種での平均潜伏期間は23ヶ月で、すでに発病している
のは、マウスの場合に感染性が見いだされた組織のみです。すなわち、マ
ウスと同じ結果がウシでも見いだされてきていることになります。しかし、実
験はまだ終了していません。たとえば筋肉(3つの部位)ですと、接種後37
〜64ヶ月経ってまだ発病はみられないので、観察が続けられています。
この実験とは別に行われた実験では、子ウシにBSEウシの脳1グラムを
経口で与えた場合、10頭中7頭が発病しています。さらに少ない量
(0.1, 0.01, 0.001グラム)を食べさせた実験が現在進行中です。これまでの
ところまだ発病は見られていません。
このほかに10頭ずつ2群のウシに、BSEウシの脳1グラムまたは100
グラムを食べさせ乳について異常プリオン蛋白の検出を試みる実験が行
われています。これは前回(第127回)の本講座でご紹介したものです。
3.ウシでの実験の現状
上に述べたVLAでの感染性分布を調べる実験では、350頭ものウシを
用いて10年以上かけて行っている大規模なもので、これが世界での安全
対策に基盤に役立っています。この実験はロンドン郊外ウエイブリッジの研
究所の農場と近くの農場で行われています。
このような実験は、ほかの国では行われていません。フランスで小規模
の実験が行われているはずという質問がありましたが、参加者からの回
答はありませんでした。
ドイツは、これから英国と同様の実験を開始するそうです。50頭のウ
シを用いて感染性の分布を調べる予定とのことです。場所はインゼル
・リームスInsel Riemsという、旧東ドイツ領のバルチック海の島です。島
といっても現在は橋でつながっています。ここにフリードリッヒ・レフラー研
究所があります。レフラーは口蹄疫ウイルスを分離した研究者で、私は
1997年、ここで開かれたウイルス発見100年記念シンポジウムに参加
したことがあります(本講座第58回)。
何年にもわたる感染実験を隔離施設で行うことは物理的にも、動物福
祉の面からも不可能であり、BSEウシの感染実験はVLAと同様に屋外の
飼育場で行われるとのことです。
4.迅速BSE検査の適切な実施時期
ウシでの発病機構の実験の成績が蓄積してきたことで、どの時期に
BSE検査をすればよいかが分かってきました。実験的には30ヶ月後から
発病が見られていますが、この時期での発病は野外では稀です。そこで
マシューズは、30ヶ月発病例、平均発病時期の60ヶ月発病例、それと
中間の48ヶ月発病例について、それぞれ現在EUなどが実施している24
ヶ月令での検査の場合について、異常プリオン蛋白の検出の可能性に
ついて次の見解を述べています。
30ヶ月で発病する場合ですと、24ヶ月令は初期症状が出始める時期
に相当していて脳には病原体の蓄積があるため、BSE検査は陽性にな
ります。ところが48ヶ月で発病する場合では、潜伏期の中期から後期に
相当し、60ヶ月で発病する場合では潜伏期の初期に相当します。これ
らの時期には脳には病原体の蓄積はほとんどありません。したがって、
これらの場合にはBSE検査は陰性になります。野外で発病するウシの
ほとんどは60ヶ月令です。したがって、24ヶ月令よりも若いウシでの検
査は科学的には無意味ということになります。
5.ヒツジでのBSE感染
ヒツジも肉骨粉を餌として与えられていたことからヒツジでのBSE感染
が、最近ふたたび問題になっています。ヒツジに5グラムのBSEウシの
脳を食べさせる感染実験はVLAと家畜衛生研究所で別々に行われ、感
染の起きることが見いだされています。これらの実験は中間段階ですが、
実験的にヒツジが感染するという点が重要視され、すでに論文発表もさ
れています。
マシューズが発表したVLAの成績は、ヒツジでのBSEがウシの場合よ
りも複雑なことを示しています。その概要をご紹介します。
スクレイピーでは、ヒツジのプリオン遺伝子のタイプにより発病する感
受性のものと、発病しない抵抗性のものが見つかっています。以前に
IAHで行われた研究で、コドン136番がアラニン(A)、コドン154番が
アルギニン(R)、コドン171番がグルタミン(Q)で、これらがホモ(ARQ/
ARQ)のヒツジはスクレイピーに感受性、一方、ARR/ARR、すなわち
171番がグルタミンからアルギニンに変わっているヒツジは抵抗性で
発病しません。
VLAで進行中の実験では、BSEの経口投与に対してARQ/ARQのヒ
ツジだけが20〜37ヶ月後に発病し、ARQ/ARR(ヘテロ)は51ヶ月目
に発病したところです。
しかし、ARR/ARRのヒツジは54ヶ月経った現在まだ発病していません。
この成績はスクレイピーの場合と同じです。
発病したARQ/ARQのヒツジでは、感染性は脳、脊髄を含む中枢神経
系、迷走神経、脾臓、胸腺、リンパ節、消化管全体など、多くの組織に
見つかっています。ウシでは感染性は中枢神経系、末梢神経節と回腸
遠位部のみに見つかっていますので、ヒツジのBSE感染は、ウシの場
合よりも複雑な発病機構を示すことになります。
また、ヒツジの品種によって抵抗性のものもありますが、安全対策を
実施する場合には、感受性のヒツジを対象としたものにしなければなら
ないと考えられています。現実的な特定危険部位を決めることもかなり
困難になります。しかし、消費者が受け入れられるレベルまで危険性
を減少させることは可能です。BSEウシの場合と同様ですが、ゼロリス
クを保証することはできません。
ヒツジの場合には利点もあります。ウシと違って扁桃や瞼のリンパ節
を調べることで、生前診断が可能かもしれません。また、抵抗性の品種
を育成することも可能です。
6.「正常」プリオン:用語の混乱
総合討論で提示された質問の中に、"normal " prionに関するものが
ありました。質問の内容は忘れましたが、この用語に対してプリオン研
究の第一人者であるチューリッヒ大学のアドリアーノ・アグッチ教授が
表現の間違いを指摘していました。日本だけでなく、ヨーロッパでも同じ
混乱が起きていて、専門家がいらいらしていることを改めて感じさせら
れました。
「プリオン」は病原体の名称で「ウイルス」や「細菌」に相当します。
したがって、「正常」プリオンという名前は本来存在しません。プリオン
の構成成分は「異常プリオンタンパク質」で、これは「正常プリオンタン
パク質」の立体構造が変化したものです。「異常プリオン」という表現も
ありません。しかし、日本でも、「異常プリオン」、「正常プリオン」と、い
つのまにか、タンパク質が省略されてしまいました。
ややこしいプリオン説ですので、一般社会でこのような混乱が起こる
のはやむをえないのかもしれませんが、少なくとも学術用語としては間
違っていることは理解していただきたいものです。
7.リスク分析
これはBSEや組み換え食品がきっかけで急速に進んできた領域で、
リスク評価、リスク管理、リスクコミュニケーションの3要素から成りま
す。これらについてさまざまな議論が、専門家、行政、消費者などの
立場から行われました。 総合討論で取り上げられた話題のタイトル
だけをご紹介しておきます。
1)対策の有効性:スイス連邦獣医局の女性は、日本はスイスと同様
に効果的 な対策が実施できたことからラッキーだとコメントしてい
ました。
2)透明性:ダイナミックな進歩をしている科学の知見を反映したリスク
コミュニケーションに、透明性を維持できるか?
3)受け入れられるリスク
4)信頼性
5)コミュニケーション
6)不確実性
7)消費者の責任
8)予防:とくに小さなリスクや理論的リスクに対する
8.ドイツ消費者保護・栄養・農業省大臣の挨拶
会議の最後にレナーテ・キュナストRenate Kuenast大臣が30分間
にわたって演説を行いました。この省は2000年暮れにBSEの初発が
見つかった後に、行政改革で新設されたものです。
まず、最初にBSE発生時にKhim博士に大変世話になったことを述
べていました。彼女の演説の中で印象に残ったのは、ドイツではリスク
管理の体制は出来ていたが、クライシス管理の体制は出来ていなかっ
たという見解、また、BSEは全般的なフッド・クライシスのなかの、ほん
の一つの例に過ぎないという言葉でした。
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