人獣共通感染症連続講座(山内一也)(第131回 ) 2002.6.20
BSE(狂牛病)の原因としての有機リン説と自己免疫説
BSEの起源がヒツジのスクレイピー由来かウシ由来かについては、結論は
出ていません。しかし、プリオンが病原体であって、餌としてウシに与えられた
肉骨粉で広がったという点は広く受け入れられているとみなせます。現実に、
BSEおよび変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)に対する安全対策はプ
リオン説にもとづいて実施されてきており、英国のBSEが激減している事実も、
この考え方を支持しています。
しかし、BSEの原因はプリオンではないという説も提唱されています。有機
リン系殺虫剤説と自己免疫説です。この2つの説は2000年に発表された英
国政府のBSE調査委員会(委員長アンドリュー・フィリップスAndrew Phillips)
の膨大な報告書と、BSE起源に関する調査委員会(委員長ガブリエル・ホーン
Gabriel Horn)の報告書で取り上げられています。それらを参考にして2つの
説が現在どのように受け止められているか述べてみます。
1. 有機リン系殺虫剤説
1980年代から有機リンの農業での使用に反対のキャンペーンを行って
きた酪農家のマーク・パーディMark Purdyが提唱したものです。1988年に
農業雑誌に発表してから、ヨーロッパでは有名になりました。しかし、日本で
はこれまでBSEへの関心がなかったため、ほとんど知られていませんでした。
最近になって、有機農法との関連で急に注目されはじめたようです。
2000年に発表された英国政府のBSE調査委員会(委員長フィリップス卿)
の報告書では、有機リン説もBSEの原因とは考えられないとしています。しか
し、細胞のプリオン感染への感受性に有機リンが影響するかもしれないと述
べています。
その後、2001年のBSE起源についての調査委員会(委員長ガブリエル・ホ
ーン教授)、およびEU科学運営委員会の「BSE起源と伝播に関する仮説に関
する見解」のいずれもが、フィリップス委員会と同じ見解を発表しています。
これらの委員会報告の要旨を整理してみます。
1)有機リン原因説は1980年代から有機リンの農薬使用に反対のキャンペ
ーンを行ってきたマーク・パーディが提唱したもので、ウシバエ駆除のための
有機リン系殺虫剤フォスメットの使用とBSE発生状況との時期的関連にもと
づいたものでした。しかし、発生状況の疫学的所見との間には、以下のよう
に明らかな関連は見いだされていません。
英国でフォスメットが使用され始めたのは1960年代で、ウシバエ撲滅計画
が開始されたのは1978年です。1982年にはウシバエは届け出疾病に指
定され、ウシバエの発生率は激減して1%以下になっていました。BSEウシの
ほとんどは1982年以後に生まれたものであって、これらのウシに対してフォ
スメットはまったく用いられていないと言われています。
2)英仏海峡にあるチャネル諸島のガーンジー島では政府のウシバエ撲滅
キャンペーンが実施されなかったのにBSE発生数は669例、一方、キャンペ
ーンが行われたジャージー島ではわずかに138例です。これに対してパーデ
ィ氏は別の説明として土壌中のミネラル含量の違いが関係していると主張し
ていますが、土壌についてそのような違いを見つけることは困難と言われてい
ます。
3)BSEのプリオン原因説が広く支持されるようになってから、パーディは仮説
を修正して、プリオン蛋白などの代謝経路が有機リンにより影響を受けると主
張するようになりました。彼の仮説を調べる目的で1995年に英国医学研究
協議会(Medical Research Council: MRC)は有機リンがプリオン蛋白に結合す
るかどうかを実験した結果、結合は見られませんでした。この成績に対して、
パーディは用いた有機リンがフォスメットとは組成が異なると反論しています。
1998年には試験管内でプリオン蛋白を産生している神経細胞にフォスメッ
トを加える実験が行われました。その結果、細胞表面のプリオン蛋白の量が
増加はしたものの、メッセンジャーRNAのレベルに変化は見られませんでした。
その結果、有機リンがBSEの原因という仮説の証明はできませんでした。ただ
し、細胞のプリオン感受性を有機リンが修飾する可能性はあるかもしれないと
いうフィリップス委員会のコメントにつながったのです。
4)パーディは2000年にはマンガンの過剰と銅、セレン、鉄、亜鉛の欠如が
BSEの広がり(そしておそらくBSE)の原因と提唱しています。しかし、BSEの発
生と制圧のパターンには一致していません。また、表土中の銅の含量が低くマ
ンガンが多い地域とBSE分布も一致しません。
5)肉牛の大部分は牧草で育つため、銅、モリブデン、セレン、マンガンのア
ンバランスにさらされており、したがって有機リン説にしたがえば、肉牛では乳
牛よりもBSE発生率の高いことが推測されます。しかし、現実にはBSE発生率
は乳牛が80%、肉牛が20%です。
以上の見解を総合すると、有機リン説を支持する科学的証拠は得られてい
ないとみなせます。
2.自己免疫説
自己免疫病の代表的なものにはリューマチなどの膠原病などがあります。い
ずれも自分の身体の構成成分に対する免疫反応により発病すると考えられて
います。本来、自己成分には免疫は成立しないのに、自己免疫病が起こる原
因のひとつに、ウイルスや細菌に感染した際に、その構成蛋白が身体の構成
成分と共通抗原性を持っていると、それに対する免疫が身体を攻撃するよう
になる場合が推測されています。
BSEの原因として自己免疫説が提唱されたきっかけは、英国家畜衛生研究
所のデイヴィッド・テイラーDavid Taylorが1996年に発表した、スクレイピーは
マウスの皮膚をひっかいただけで感染するが、免疫不全のマウスでは感染し
ないという論文です。これは免疫系がスクレイピーの体内伝播に必要ということ
を示唆したものでしたが、ロンドン大学キングス・カレッジ免疫学講座のアラン・
エブリンガーAlan Ebringer教授は別の解釈をしたのです。
彼は神経組織と共通の抗原性を示すものがウシの餌に含まれていて、それ
がアシネトバクターAcinetobacterという細菌であることを見いだしました。また、
大腸菌にも同様に神経組織と共通の抗原性を示す成分があると言っています。
そこで、これらが腸管から取り込まれた結果、神経組織に対する免疫が成立し
て、それがBSEを起こすと提唱したのです。
しかし、BSEと自己免疫病とはあまりにも異なっています。自己免疫病では炎
症がありますが、BSEには炎症はまったくありません。また、細菌ならば普通の
処理で簡単に不活化できます。その他、いくつかの証拠から自己免疫説につい
ては、前述の3つの委員会報告すべてがまったく科学的根拠はないと否定して
います。
しかし、前回の講座(128回)で取り上げたスイスのバーゼルでのシンポジウ
ムでは、この説の強力な支持者らしいインスブルックのローランド・ペヒラナー
Roland Pechlaner教授が何回も質疑応答の際に立ち上がっては、この説を繰
り返し強調していました。彼のおかげで討論時間がかなり費やされてしまい、座
長が最後には自己免疫説についての意見であれば遠慮してもらうとまで言って
いました。彼はさらに休憩時間にドイツの農業大臣あての手書きの手紙なども
含めた分厚い資料のコピーを参加者に配っていました。もっとも、ほとんどはド
イツ語でした。
なお、英国政府の海綿状諮問委員会(Spongiform Encephalopathy Advisory
Committee: SEAC)は2002年2月に開かれた第72回会議で自己免疫説を
議題のひとつに取り上げ、エブリンガー教授の見解を聞きました。その結果、
彼の理論はBSEの起源を説明するものではないと結論しています。ただし、
アシネトバクターに対する抗体は生前診断のマーカーに利用しうる可能性はあ
るかもしれないとしています。もっとも、BSEウシでこの細菌に対する抗体が見
つかる頻度は70%という成績であるため、はたしてBSEウシを検出しうるかど
うか疑問視もしています。
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