人獣共通感染症連続講座(山内一也)(第140回) 2003.2.24

シカの慢性消耗病の現状, シカのプリオン病

 米国ではシカの間で慢性消耗病(chronic wasting syndrome: CWD)の発生が 年々広がってきていて、昨年、米国政府は緊急宣言を出して制圧の努力を続け ています。CWDでは脳に空胞病変が認められ異常プリオン蛋白も検出されま す。また、健康なシカの脳内に病気のシカの脳乳剤を接種することで病気が伝 達されます。その結果、CWDはプリオン病の1種と見なされています。しかし、 これまでの限られた研究の結果では、CWDの病原体はウシ海綿状脳症、スク レイピー、ミンク伝達性脳症といった動物のプリオン病の病原体とは異なる新し いものと推測されています。  米国では3人の若い人で起きたクロイツフェルト・ヤコブ病がCWD感染による ものではないかという疑いがもたれています。また、野生動物パーティでシカを よく食べていたヒト3人の死亡例についてCWD感染との関連を調査した結果が CDCのMorbidity Mortality Weekly Report 2月21日号に掲載されました。いず れもシカから感染したという証拠はまったくありませんが、CWDがヒトに感染す るのではないかという面から大きな関心が寄せられています。  そこで、CWDの発生状況や研究の現状について、簡単にご紹介することにし たいと思います。 発生状況  CWDの最初の例は、1967年、コロラド州フォート・コリンズの野生動物研究 施設で飼育されていたミュールジカで生物学者たちにより見出されました。この シカはワイオミング州をはじめいろいろな地域から持ち込まれていたために、 最初の発生がどこかは分かりませんでした。1978年、コロラド大学獣医学部 の大学院生エリザベート・ウイリアムス(Elizabeth Williams)は病理組織学的検 査で病気のシカの脳に空胞病変を見出し海綿状脳症であることを1980年に 発表し、続いて1982年にはシカへの脳内接種で実験的に病気が伝達されるこ とが確かめられました。そこで、新しい伝達性海綿状脳症として注目されるよう になりました。CWDはその後、アカシカで見つかり、さらにオジロジカでも見つか りました。  なお、アカシカの英語名はRocky mountain elkでロッキー・ヘラジカ、オオシカ とも訳されています。私は平凡社の世界哺乳類和名辞典にしたがってアカシカ としていますが、どの訳が妥当かは分かりません。ご存じの方がおられたらお 教えいただきたいと思います。  これまでに、CWDはこの3種類のシカでのみ見つかっています。CWDの発生 した施設で飼育されているオオツノジカ、アメリカプロングホーン、ビッグホーン、 ムフロン、シロイワヤギ、ブラックバックでは発症は見つかっていません。  現在、CWDはコロラド、カンザス、ミネソタ、モンタナ、ネブラスカ、オクラホマ、 サウスダコタ、ウイスコンシンの各州のシカ飼育施設と、コロラド、ワイオミング、 ネブラスカ、ニューメキシコ、サウスダコタ、ウイスコンシン、イリノイの各州の野 生シカの間で見いだされています。  1996年にはカナダのサスカチュウワン州で米国から輸入したアカシカで発生 が見いだされました。  さらに2001年には韓国で、カナダから1997年に輸入した47頭のアカシカ で9頭がCWDと確認されました。私はカナダの担当者から韓国での発生の話を 聞いていたのですが、その後、最初の発生例についての病理学的検査結果が 日本獣医学会の機関誌Journal of Veterinary Medical Science 64巻9号(855 ページ)2002年に発表されました。   CWD拡大の原因  発症したミュールジカの脳乳剤を子鹿に経口接種した実験では42日目に咽 頭のリンパ節、扁桃、小腸のパイエル板、回盲部(回腸と盲腸の境界)リンパ 節に異常プリオン蛋白の蓄積が見いだされました。この結果は、病原体が唾液 や糞便に排出されて、ほかのシカへの感染を起こしている可能性を示していま す。  BSEやスクレイピーは、いずれも家畜の間で広がる病気で、しかも排泄物を介 した水平感染は起きていないと考えられています。CWDは唯一、野生動物の間 で排泄物を介して広がるプリオン病ということになります。そのため、自然界でき わめて効率よく広がることが考えられるわけです。  もうひとつ大事な点は、シカの繁殖産業が広がっていることです。これは、漢 方薬の原料としてシカの袋角(鹿茸:ロクジョウ)の需要が韓国や中国で増加し ているためです。カナダのシカ農場も韓国への輸出のために米国からシカを導 入して設立したものでした。 病気の特徴  最初の症状は行動異常で、人間や同じ群の動物に対する態度の変化として 現れるますがほとんど気づかれない程度のものです。もっとも特徴的な症状は 名前が示すように著しい体重の減少です。私は1996年に出版した「プリオン 病」にエリザベート・ウイリアムスからCWD の写真を提供していただきましたが、 カナダロッキーなどで見かけるシカとは思えないほど、やせ細っています。  病気の末期になると、糖尿病のように水を多く飲み、多尿、唾液過多が見られ るようになります。協調運動不能、震えなどの神経症状も出現します。BSEやス クレイピーとはかなり異なっています。  米国農務省の研究所ではCWDに自然感染したミュールジカの脳乳剤を13頭 の子ウシの脳内に接種する実験を行っています。これまでの報告では、3頭が 発病しており10頭は接種後3年目の2001年暮れの時点ではまだ健康と報告 されています。発病したウシの症状は2頭では体重減少、1頭は肺の膿瘍でBS Eとは異なるものでした。 ヒトへの感染の可能性  BSEがヒトに感染して変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)を起こしたことを 示す科学的証拠が蓄積してきています。CWDも同様にヒトに感染するのではない かという点に大きな関心が寄せられています。これに関連した2つの報告につ いて述べてみたいと思います。  2001年にCDCのビレイ(E. Belay)は1997年から2000年にかけて米国で 見いだされた3人のCJD患者についての報告を行っています(Archives of Neurology 58, 1673, 2002)。彼はCDCのウイルス・リケッチア部門で、そこの副 部門長ラリー・ショーンバーガー(Larry Shonberger)とともにCJD調査の責任 者の役をつとめています。血液製剤の安全性、硬膜移植によるCJDの調査も 彼の仕事です。  ところで、この3人のCJD患者は2名が28歳、1名が30歳と、CJD患者とし ては異常に若い点が特徴的でした。しかも、2名はハンティングを行っており、 もう1名はハンターの娘で、日頃、子鹿の肉をよく食べていました。そこで、CW D感染の可能性が疑われたわけです。しかし、これらの患者の病態は孤発性 CJDであり、変異型CJDの特徴は認められませんでした。結局、CWDとの関連 を示す強力な証拠は得られませんでしたが、今後も検討が必要と述べられてい ます。  一方、冒頭で触れたCDCの報告では、1993年から99年にかけてウイスコン シンで開かれた野生動物パーティの参加者3名が神経変性疾患で死亡した例 についての調査結果がまとめられています。このパーティを開いていた66歳の 男性はハンターでシカの肉をしばしば食べていました。解剖の結果、CJDと同様 海綿状脳症とみなされましたが、全米プリオン病病理調査センターで再検査した 結果ではプリオン病とは診断されませんでした。また、異常プリオン蛋白も検出 されませんでした。第2例は55歳の男性で、病理学的検査でCJDと診断されま した。異常プリオン蛋白も検出されました。彼はハンターではありませんが、シカ 肉をよく食べていました。第3例は65歳の男性で、シカ肉をよく食べ、問題の野 生動物パーティにも定期的に参加していました。しかし、解剖の結果、CJDとは 診断されませんでした。エディターのコメントでは、CWDとの関連は明らかになら なかったが、これだけでCWDがヒトに感染する可能性を否定することはできない と述べられています。 日本および米国での対策  日本では2001年10月に、農林水産省が米国とカナダからのシカの肉とそ の加工品の輸入を停止し、厚生労働省が医薬品などに米国産シカの原料を 使用しないよう通知しています。さらに、韓国でのCWD発生を受けて農林水産 省では2002年10月2日付けで韓国から生きたシカとシカ由来の畜産物の輸 入を一時停止しています。日本では果樹園などで蒸製骨粉を肥料に用いてい ます。これは柑橘類などの甘みを増加させるためのもののようで、日本独自 の方式です。確率は非常に低いと考えられますが、もしも蒸製骨粉にCWD病 原体が混入したとすると、果樹園にまかれたものが野生のシカの口に入る可 能性も否定できません。きわめて低い可能性であっても、日本の野生のシカに 一旦CWDが侵入した場合、野生のシカの間で水平感染を起こすCWDでは制 圧はもはや不可能です。したがって、きわめて厳重な予防措置がとられたこと になります。  米国では、2002年6月26日に農務省(USDA)がCWDに関する総合的な行 動計画を発表しました。内容としては、コミュニケーション、科学技術情報普及、 診断、疾病管理、研究、サーベイランスの項目に分けられ、オーバービュー、 ゴール、行動がまとめられています。そして、各項目について、ワーキンググ ループが結成されています。なお、この計画の詳細は http://www.aphis.usda.gov/oa/pubs/usdacwd.htmlで見ることができます。
Topへ戻る
Zoonoses講義一覧へ戻る

Click here to Home Page