人獣共通感染症連続講座(山内一也)(第149回) 2003.9.25

伝達性海綿状脳症:「事実またはフィクション」

 これは米国コロラド州フォートコリンズで9月10?12日に開かれたBSEに 関する国際会議のタイトルです。コロラド州はBSEと同じく伝達性海綿状脳 症(プリオン病)のひとつであるシカの慢性消耗病発生の中心になっている 地域です。ここで、BSEと慢性消耗病について現在までに明らかになった 事実が紹介され、さまざまな討論が行われました。  伝達性海綿状脳症に関しては、科学的評価が不十分なために、いくつも のフィクションが事実のように語られていることが、このタイトルの背後にあ るようです。その理由としては、とくに診断法の不確実性と地球規模でのB SEや慢性消耗病の広がりの実態がはっきりしない点であると、主催者か ら述べられています。  当初のプログラムのタイトルは「事実とフィクション」でしたが、最終的に は「事実またはフィクション」とニュアンスが変わりました。  この会議は、2002年4月にスイスのバーゼルで、NPOのTAFS (伝達性 海綿状脳症と食の安全に関するフォーラムInternational Forum on TSE and Food Safety)が主催した国際会議(これについては本講座128回で ご紹介しました)の第2回目に相当するものです。今回は、TAFSに加えて 国際獣疫事務局(OIE)、米国農務省(USDA)およびカナダ農務省が共催 しています。  BSEや慢性消耗病の研究者に加えて、家畜衛生や食品安全などに関 わる行政担当者を含めて全部で約150名が24カ国から参加して、2日 間にわたって活発な討論が行われました。日本からは前回と同様に、私 のほかに学術会議から2名(前回も参加された唐木英明先生と、今回が 最初の島本義也先生)が参加しただけでした。このような会議には、日本 の家畜衛生や食品安全の担当者にも出席してもらいたいものです。  会議の議題は、発病機構、診断と疫学、リスク管理の3つで、それぞれ について、最近の研究成果や対策についての講演と総合討論が行われま した。3番目の話題では、カナダ・ビクトリア大学の哲学教授であるコンラ ド・ブランク(Conrad Brunk)の講演が大変興味ある内容でした。  抄録はなく、発表内容の詳細はパワーポイント原稿とともに後日、出席 者に配布されることになっています。そこで、私のメモをもとに、私の守備 範囲である発病機構に関する話題についてご紹介しようと思います。 1. BSE  英国獣医研究所のダニー・マシューズ(Danny Matthews)とジェラルド・ ウエルズ(Gerald Wells)から最新の実験成績がそれぞれ紹介されました。  ウエルズはBSEを最初に確認した病理研究者として有名です。獣医研 究所の病理学研究部長を最近、定年退職し現在は顧問として研究を続 けています。一方、マシューズは家畜衛生行政の立場からBSE問題にか かわっていましたが、数年前から獣医研究所でのウシへの感染実験計 画の責任者になっています。もともとは疫学部長のジョン・ワイルスミス (John Wilesmith)が責任者でしたが、ワイルスミスが多忙になったため、 マシューズが引き継いだものです。   1) ウシへの最小感染量についての2回の実験。  第1回目の実験は、BSEウシの脳(1グラム中にマウス脳内接種で 1000感染単位が含まれているもの)を300 グラム、100グラム、10グラム、 1グラムを、それぞれ10頭の子ウシに食べさせたもの、すなわち経口投 与実験です。  その結果は、300グラムで10頭中10頭(潜伏期33-42カ月)、100グラム でも10頭すべて(33-81カ月)、10グラムで7頭(42-72カ月)、1グラムで 10頭中7頭(45-75カ月)が発病しました。観察は110カ月まで行われまし た。9年間あまりかかった大変な実験です。  最小感染量が1グラム以下と分かったために第2回目の実験では1グ ラム(5頭)、0.1グラム(15頭)、0.01グラム(15 頭)が投与されました。その 結果、1グラムで5 頭中3頭、0.1 グラムでは15頭中3頭、0.01グラムでは 15頭中1頭(潜伏期59カ月)が発病しました。現在、投与後67カ月目で実 験はまだ続いています。0.01グラムという微量でもウシが感染・発病する ことが明らかになったわけです。  もっとも、この結果は第1回の実験成績から予想されていたことと、ウ エルズは述べていました。 2)ウシのリンパ組織での感染性  BSEウシでは脾臓やリンパ節には感染性はまったく見つかっていません。 この点をさらに確認するために、発病末期の5頭のBSEウシのリンパ節も しくは脾臓をプールしてマウス(RIII系統)または子ウシの脳内に接種して感 染性を調べています。マウスは700日間、ウシは86カ月間観察した結果、感 染性はどちらでも見つかりませんでした。ウシはマウスの500倍の検出感度 がありますが、それでも感染性は検出限界以下ということになります。  ヒツジのスクレイピーでは、潜伏期中から瞼の瞬膜にある小さなリンパ節 (これは人間にはありません)に異常プリオン蛋白がみつかります。これを 参考に、野外で発病したBSEウシ10頭の瞬膜リンパ節をプールして、5頭の 子ウシの脳内に接種して調べたところ、1頭が31カ月後に発病しました。残 りの4頭は現在42カ月目で、まだ発病していません。マシューズはこの成績 に驚いたとだけ述べて、それ以上のコメントはつけ加えませんでした。これ からの研究課題になるものと思います。  3)ブタへのBSE接種実験  ブタではBSE病原体の経口投与を行った場合、7年間観察した結果、まっ たく発病は見られていません。一方、脳内接種、静脈内接種と腹腔内接種 を同時に行った場合には最終的に8頭中5頭で神経症状が出現し、別の2 頭では症状は見られませんでしたが、脳に空胞病変が見つかっています。 その結果、自然界でブタが餌からBSEに感染することはあり得ないが、感受 性は持っているとみなされています。これらの事実は私の著書をはじめ、多 くの解説でよく知られていることです。  今回、これらの実験成績の詳細が報告されました。その結果、経口投与 されたブタでは、接種後24ヶ月目に殺処分して採取した組織や、実験終了 時の84ヶ月目に採取した組織のいずれでも、マウス脳内接種で感染性は まったく検出されませんでした。この結果は、自然界でブタが病原体のリサ イクルに関わった可能性は考えにくいことを示しています。  脳内、静脈内、腹腔内の3経路で接種され、空胞病変が確認されたブタ では、脳と脊髄に感染性が検出されました。ほかに低いレベルですが、胃、 空腸、回腸遠位部、膵臓でも感染性が検出されています。  これらの成績は、ウエルズたちがJournal of General Virology 84, 1021, 2003で発表していますので、関心のある方はこれをご覧ください。 4)ニワトリへのBSE接種実験  ニワトリにBSEを経口投与または脳内接種した場合、まったく発病は見ら れないことが、1997年に短報として発表されています。その成績の詳細が 今度初めて紹介されました。まだ論文として発表はされていません。  ニワトリへの経口投与実験は5グラムのBSEウシ脳の10%乳剤で行われま した。その結果、5年間観察した結果、発病は見られず、また、組織に感染 性は検出されませんでした。  脳内接種実験としては、BSEウシ脳乳剤50マイクロリットルが孵化直後の 1日令のヒナに接種されました。一方、2週令のヒナには1ミリリットルが腹腔 内に接種されました。いずれも5年間観察した結果、発病は見られませんで した。いくつかの組織をマウスの脳内に接種して調べた結果、感染性は見い だされませんでした。すなわち、ニワトリはブタと違って感受性も持っていな いと考えられます。  これらの実験の際に問題になったのは、接種されたニワトリの中に運動障 害を示すものが見られたことです。これがBSE感染によるものかどうかを調 べるために、運動障害の症状が見られたニワトリの脳の材料を、さらにマウ スやニワトリの脳内に接種する実験が行われ5年間観察されましたが、病気 を伝達することはできませんでした。ウエルズの意見では、実験に用いたの は商業用ニワトリで通常は2年以内に処分されるもので、長期間飼育される ことはほとんどなく、多分、高齢化に伴う変化ではないかということです。   5)ヒツジでのBSE  これはヨーロッパで大きな問題になっているもので、英国ではヒツジへのB SE接種実験が行われています。ヒツジではプリオン遺伝子のタイプによりス クレイピーに感受性のものと抵抗性のものがあります。BSE接種でも感受性 の遺伝子型のヒツジは20頭すべてが発病・死亡しています。抵抗性の遺伝 子型のヒツジは現在71カ月目で、すべて正常なままです。  英国のヒツジにはスクレイピーに感染したものが混入しているおそれがあ るため、スクレイピー・フリーのニュージーランド産のヒツジでも実験が繰り 返されましたが、まったく同じ成績でした。  ヒツジのBSEでは感染性の分布はウシの場合と異なり、広範囲に見いだ されます。肝臓、回腸遠位部、腸管膜リンパ節、迷走神経、4つの胃、十二 指腸、脳、脊髄、種々のリンパ節などです。  ヒツジのBSEとウシのBSEの比較について、かなりの議論が行われました が、これは省略します。 2.慢性消耗病  この病気を最初に報告し、この領域の第一人者であるワイオミング大学 のエリザベス・ウイリアムズ(Elizabeth Williams)が、詳細な報告を行いました。  もっとも重要な問題のひとつはウシへの感染の可能性です。しかし、ウシ へ経口投与した後、6年以上経っていますが、感染の成立は見られていま せん。したがって自然感染の証拠は得られていないことになります。脳内 接種実験では一部のウシで発病が見られていますが、症状はBSEとは異 なっています。  慢性消耗病はミュールジカ、オジロジカ、アカシカ(elk)の3種類でのみ見 いだされています。これら3種類のシカへの経口投与実験の成績も紹介さ れました。  いずれの場合でも3ないし6カ月目という早い時期から消化器、リンパ節、 脳などに異常プリオン蛋白が検出されます。そこで、病原体は糞便、尿、 唾液などから排出される可能性が疑われています。  慢性消耗病対策については、USDAの野生動物担当のリン・クリークモア (Lynn Creekmore)が発表しました。彼女は、発生状況、診断方法(標準法 である免疫組織化学、州によっては扁桃の生検材料での診断)、USDAによ る農場の清浄証明計画、ELISAによるサーベイランスの問題点、シカのよう な代替家畜(alternative livestock)に対する行政システムの不十分な面など、 さまざまの話題を提供しましたが割愛します。
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