人獣共通感染症連続講座(山内一也)(第151回) 2003.11.7

ウイルスと現代社会

 フランスのパスツール研究所を支援する団体として「パスツール研究所 支援協会」というのがあります。この協会の主催により、11月5日に日仏 会館で「境界なき感染症!病気は時間・空間・種の壁を越えて」という講 演会が開かれ、パスツール研究所の細菌学のムハメド=ヘイール・タハ (Muhamed-Kheir Taha)博士が「さまざまの病原体と生体のかかわり」、 私が「ウイルスと現代社会」という講演を行いました。  以下はその際の講演原稿をもとに整理してみたものです。なお、エマー ジング感染症の背景など、本講座でこれまでにとりあげた内容は割愛し てあります。  今年の春、全世界に大きな衝撃を与えた重症急性呼吸器症候群SARS は未知の新型のコロナウイルスが原因とみなされています。一方、昨年、 米国で大きな広がりを示したウエストナイル熱は、1930年代に分離され たウエストナイルウイルスによるもので、1999年に突然米国大陸に出現 したものです。  このような新興・再興感染症の原因としてのウイルスが社会に与える影 響があらためて認識され、ウイルスについての関心が急速に高まってき ています。しかし、一般の人の間ではウイルスについて十分な理解が得 られているとは思えません。  ウイルスは動物や植物などの細胞の中でのみ子孫を増やすことができ る究極の寄生性微生物とみなせます。そのようなウイルスの実態、そして SARSのようなウイルス感染症が出現してくる背景となっている現代社会 について、お話してみたいと思います。   (1) ウイルスの起源  ウイルスがどのようにして生まれたか、その起源については、オースト ラリアの偉大な免疫学者でウイルス学者でもあったマクファーレン・バー ネット(Macfarlane Burnet)が1940年代に3つの仮説を提唱しています。 なお、バーネットは細胞免疫学の樹立の業績に対してノーベル賞を1960 年に与えられています。その後、議論はほとんどなく、1994年に 「Evolutionary Biology of Viruses, Raven Press」で、スティーブン・モース (Steven Morse)がバーネット説について、あらためて詳細な解説を加え ています。なお、モースはエマージング感染症という名称の提唱者で、 ProMEDの創立者です。モースの解説を参考にして、この問題に触れて みたいと思います。  バーネットの説の第1は、ウイルスは病気の原因となる大きな微生物 (たとえば細菌)が退化して生まれたものというものです。しかし、この微 生物の退化説は最近ではほとんど否定的になっています。第2の説は DNA生物が出現する以前のRNAワールドの時代の面影を残したものと いう考えです。地球ができたのが46億年前で、一番古いDNA生物が出 現したのは38億年前といわれています。それまではRNAの世界と考え られています。現在の生物はすべて遺伝情報としてDNAを持っています が、ウイルスだけは例外でRNAを遺伝情報としているものが数多くありま す。たとえば、エボラウイルス、ニパウイルスなど、エマージングウイルス のほとんどはRNAウイルスです。そこで、これがRNAワールドの遺物では ないかというわけです。第3の説は、細胞の遺伝要素の一部が細胞から 飛び出したものという考えです。ウイルスはさまよえる遺伝子というわけ です。この説が現在ではもっとも受け入れられています。とくに白血病な どの原因となるレトロウイルスにはガン遺伝子があり、これに相当するも のが動物の染色体に見つかります。 (2)ヒトのウイルスは動物由来  人類の祖先は100万年くらい前にアフリカに出現し、現在の人類ホモ サピエンスが出現したのは20万年くらい前と考えられています。地球上 にネズミが出現したのはおよそ6000万年前、ウシやブタの祖先が出現 したのは5400万年前と考えられています。これらの哺乳類は人類より はるか以前から地球上で生活していたわけです。人類が誕生する以前 に、これらの動物にウイルスは寄生していたと考えられます。ホモサピエ ンスがアフリカからメソポタミア、インダス地域などに出てきて農耕生活を 始め、家畜の飼育などにより動物と接触するようになったことで、動物の ウイルスがヒトに感染し、ヒトの進化とともにウイルスがヒトに適応してヒト の間で広がるようになったと推測されています。  たとえば、麻疹ウイルスは今から8000年くらい前にヒツジやヤギから 感染して、ヒトに適応した結果、ヒトの間でだけ増えるようになったものと 推測されています。天然痘ウイルスは4000年くらい前に、ウマかウシか らヒトに感染したものが、ヒトに適応して、ヒトにだけ感染するように変わ ったものと推測されています。  最近の例では、エイズの原因であるヒト免疫不全ウイルスがあります。 これには2つのタイプ、HIV-1とHIV-2があり、エイズの最大の原因は HIV-1です。これは1930年代にチンパンジーからヒトに感染したと推測 されています。チンパンジーからヒトに感染し、ヒトの間でひそかに広がっ ている間に現在のHIV-1になったということになります。HIV-1はもはやチ ンパンジーのウイルスではなく、ヒトのウイルスです。一方、西アフリカな ど限られた地域ではHIV-2によるエイズも起きていますが、このウイルス はチンパンジーではなく、別のアフリカ産サルである、スーティマンガベイ から20世紀のある時期にヒトに感染したものと推測されています。  現在、人獣共通感染症として動物由来ウイルスが問題になっています が、ヒトの間でのみ存在しているウイルスも、もとは動物由来であってヒト に完全に適応したものと考えられます。 (3)究極の寄生性微生物であるウイルス  ウイルスは核酸としてDNAまたはRNAを持っています。核酸には遺伝 情報が含まれており、この情報にしたがってウイルスは自分の子孫を複 製できます。細菌は単一の細胞からできた微生物で細胞膜に包まれて います。細胞の中には遺伝情報としてのDNAのほかに、タンパク質の合 成に必要な代謝機構が含まれています。栄養分などは細胞膜を通して外 界からとりいれます。細菌が増殖するのは、細胞分裂によるもので、これ で子孫が増えていきます。一方、ウイルスには細胞膜はなく、代謝機構も 持っていません。遺伝情報としての核酸といくつかのタンパク質だけです。 ウイルスは子孫を作るための遺伝情報を持っていますが、その情報にし たがって子孫を作るための代謝系は、ウイルスが寄生する細胞に依存し ています。しかも、細胞膜がないため、寄生している細胞の中で急速に子 孫を増やすことができます。  ウイルスが細胞内に侵入すれば、子のウイルスが急速に増えてきます。 試験管内で培養した細胞で調べてみると、ポリオウイルスの場合、1個 の細胞の中に侵入した1個のウイルスは条件がよければ、10時間くらい の間に10万個くらいの子のウイルスを産生します。身体の中では天文 学的な数のウイルスが短時間で産生されることになります。  ウイルスは生物か無生物かという議論が時にあります。私は、ウイル スは究極の寄生性微生物とみなすべきと、考えています。 (4)ウイルス学誕生以前に成功したウイルス感染症の予防  古くからもっとも恐れられていた病気に天然痘と狂犬病があります。こ れらはいずれもウイルスによる急性感染症です。  天然痘の予防は1790年にジェンナーが種痘を開発したことに始まり ます。彼はウシの間で起きていた牛痘にかかったことのあるヒトは天然 痘にはかからないという話にヒントを得て、ジェイムス・フィップスという名 前の少年に乳搾りの女性の腕にできた牛痘の病変の膿を接種したので すが、これが種痘の始まりでした。ジェンナーはその後、フィップス少年 に天然痘患者の皮膚病変のサンプルを20回も接種してみて天然痘にな らないことを証明してみせたのです。  種痘は急速に世界中に広がっていきました。しかし、当時は種痘を受 けたヒトの皮膚の病変の膿をそのまま、別のヒトに接種していました。多 くの場合、赤ん坊から子供に接種しており、「腕から腕へのワクチン接種」 と呼ばれていました。そのために、種痘だけでなく、ほかの病気を移すこ ともありました。最悪の例としては、梅毒が移されたこともあります。  この問題を解決したのは、イタリアのナポリのネグリという名前の医師 で、1805年にウシの皮膚で天然痘ワクチンを作る方法を考案したので す。しかし、これが諸外国に広がったのは1864年にフランスのリヨンで 開かれた医学会議での発表の後でした。  1870年頃のニューヨークでの種痘の写真がありますが、ウシが真ん 中に立っていて、そのまわりを種痘を受ける人たちが取り囲んでいます。 ウシから直接、ヒトに接種されていたわけです。  この後、牛の皮膚病変の膿を集めて乳剤とする方法になりました。私 が50年ほど前、大学を出て北里研究所に入所した頃、このようにして 牛のお腹の皮膚で天然痘ワクチンを作っていました。WHOの天然痘根 絶計画で威力を発揮したのも、この150年以上前に開発された古典的 な方法で作られた天然痘ワクチンでした。  ジェンナーの時代、微生物の概念は生まれていませんでした。微生物 の概念を提唱し、微生物感染の予防の道を開いたのはパスツールでし た。彼は1879年には、ニワトリコレラ菌の病原性を弱めたものでニワ トリの感染予防できることに成功し、これにワクチンという名前を付けま した。ワクチンはラテン語で雌牛を意味するVaccaに由来しています。ジ ェンナーがフィップス少年への接種に用いた乳搾りの女性は、 Blossom(花)という名前の雌ウシから牛痘に感染していました。ワクチン という名称は、ジェンナーの業績をたたえたものでした。  この成功に続いてパスツールは狂犬病ウイルスについても病原性を 弱める試みを行いました。最初はサルを用いたのですが、これは成功し ませんでした。そこで、ウサギに接種する方法に変えて、90代、ウサギ からウサギに植えついだものをワクチンとして、1885年に狂犬病のイ ヌに咬まれたジョセフ・マイスターという名前の少年を助けるのに成功し ました。パリにあるパスツール研究所の庭にはマイスター少年に狂犬が かみついている像があります。  振り返ってみると、天然痘と狂犬病の予防に成功した時代、まだウイ ルス学は生まれていませんでした。 (5)ウイルス学のはじまり  ウイルスが初めて発見されたのは1898年、牛の口蹄疫とタバコモザ イク病の2つでした。その30年ほど前から炭疽菌、結核菌など細菌が 続々と分離されており、細菌の狩人の時代が始まっていました。ドイツ のフリードリッヒ・レフラー(Friedrich Loeffler)はジフテリア菌の分離に 成功して、有名になっていました。  ウシの口蹄疫は現在でももっとも重要な家畜伝染病です。19世紀の 終わり頃、口蹄疫はヨーロッパの畜産に大きな被害を与えていましたが、 これも細菌による病気と考えられていました。そこで、ドイツ政府の命令 でレフラーは原因の細菌の分離を試みたのです。口蹄疫は名前が示す ようにウシの口やひづめに水疱をもった潰瘍を作る病気で、その水疱の サンプルを健康なウシに接種した結果、同じ病気を作るのに成功したの です。しかも、そのサンプルを細菌は通過できないフィルターを通しても 病気を起こすことを見いだしました。細菌よりも小さい濾過性の病原体 が体重200キロもある子ウシを発病させる驚くべき活性を示すと考えた のです。ここから現在のウイルス学が始まったといえます。  細菌は顕微鏡で見ることができますが、ウイルスは細菌の数十分の一 以下と小さく、電子顕微鏡でなければ見ることができません。ウイルス の存在は動物に病気を起こすかどうかで、間接的に調べていたわけです。 現在では動物のかわりに、試験管内で培養した細胞を破壊するかどうか で見ています。どちらにしても、動物または細胞に対する病原性がウイル スの指標になっています。  一方、1970年代に生まれた、遺伝子工学によりウイルスの遺伝子や タンパク質の構造を調べることが可能になりました。物質としてのウイル スの研究が可能になっているわけです。しかし、動物や細胞への病原性 は現在でもウイルス研究の基本的手段です。 (6)天然痘根絶に続くエマージング感染症の認識  1980年、WHOは天然痘が全世界から根絶されたことを高らかに宣言 しました。天然痘はウイルスによる感染症で、有史以来、人類を悩ませて きました。エジプトのカイロの博物館にあるラムゼス5世のミイラには天然 痘の皮膚病変とみなされるものがあります。天然痘根絶は人類が自らの 力で感染症を根絶した最初の例です。微生物学の最大の成果です。  実はジェンナーは種痘を始めた時に、これを広めていけばいずれは地 球上から天然痘を根絶できるだろうと論文の中で述べていました。彼の予 言が200年後に現実のものになったわけです。  しかし、現実には1981年にはエイズがひそかに世界中に広がりはじめ ていました。その後、さまざまな感染症が起きてきました。そこで、1993年、 WHOは全米科学者協会と合同で、エマージング感染症への警告を出しま した。  これらは新しく出現したもの、または古くから存在していたものが、急速 に広がり始めたもので社会的に大きな衝撃を与えているもので、一般に エマージング感染症と呼ばれています。発生地域を広げ米国で1999年 に突然出現したウエストナイル熱はアフリカ、ヨーロッパなどでは古くから 存在していましたが、アメリカ大陸で見いだされたのは、これが初めてであ って、20世紀最後に出現したものです。SARSは21世紀に初めて出現し たエマージング感染症になりました。 (7)伝統的ウイルス学手段により解明されたSARSの原因ウイルス  WHOは2003年3月15日にSARSの発生を発表し、発生地域への渡航 延期の勧告を行いました。それと同時に国際協力研究ネットワークを結成 しました。WHOは新型のインフルエンザの発生に備えてインフルエンザ対 策ネットワークを作っており、それがSARS研究ネットワークになりました。 そして、国際研究協力により1ヶ月後には新型コロナウイルスが主な原因 であるとの結論に到達しました。  これはこれまでにない画期的な成果です。そこにいたった経緯を振り返 ってみたいと思います。  CDCでは試験管内で培養したヴェーロ細胞に患者のサンプルを接種し た結果、5日目には細胞の破壊を見いだしました。これは細胞変性効果 と呼ばれるものでウイルスの増殖を示唆しています。なお、ヴェーロ細胞 は安村美博・獨協医科大学名誉教授が1960年代に分離した細胞です。 研究予算が乏しい時代、細菌の汚染を防ぐためのステンレスのキャビネ ットの代わりにリンゴ箱を用いて分離したという逸話があります。これがエ ボラウイルス、ニパウイルスなど、多くのエマージングウイルスの分離に貢 献しています。  この細胞変性効果が見られた細胞を電子顕微鏡で観察したところ、球 形で周囲に太陽のコロナのような構造を持つコロナウイルス様の粒子が 見つかりました。また、患者の血清の中にはこのウイルスと反応する抗 体が存在することも明らかにされました。ここで、コロナウイルスが原因 と疑われたわけです。同様の結果はドイツとホンコンのグループからも同 じ時期に得られました。  一方、これより前にパラミクソウイルスの一種であるメタニューモウイル ス原因説も出されていました。2種類のウイルスが候補として浮上したわ けです。この問題に決着をつけたのはオランダで行われたカニクイザル への接種実験でした。コロナウイルスが接種されたサルでは肺炎の初期 病変が見つかりましたが、メタニューモウイルスでは病変は見つかりませ んでした。なお、このサルの実験を行ったオランダのアルバート・オスター ハウス(Albert Osterhaus)教授は、2001年にヒトメタニューモウイルスを 分離した人でもあります。  以上はすべて伝統的なウイルス学の手段です。一方、このコロナウイ ルスの遺伝子解析も急速に進められました。4月初めには全部の遺伝 子配列が明らかにされました。その結果、これが未知の新しいコロナウ イルスであることが明らかになりました。すなわち、伝統的ウイルス学の 手段と先端的な遺伝子工学の両方により原因ウイルスの解明が行われ たわけです。   (8)最大のバイオテロリストは自然  これはNatureの論説のタイトルです。SARSは自然が最大のバイオテロ リストであることを示したというわけです。野生動物それぞれに固有のウ イルスがいくつも存在しているはずです。我々が知っているウイルスは氷 山の一角にすぎません。ウイルスの生態についてはほとんど分かってい ないのです。
Topへ戻る
Zoonoses講義一覧へ戻る

Click here to Home Page