人獣共通感染症連続講座(山内一也)(第165回) 2005.6.24

BSEのリスクとわが国における安全対策

5月20日の衆議院農林水産委員会に日本獣医畜産大学沖谷明紘教授と 私が参考人として呼ばれ、沖谷教授は牛の月齢判別について、私は表題 の内容で意見を述べました。その際に配布した私の資料を掲載します。  なお、委員会の会議録は衆議院のホームページ(会議録) http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm で読むことができます。 「BSEのリスクとわが国における安全対策」 BSEがもたらすリスク  BSEは牛の神経疾患で、牛を確実に死亡させる重要な家畜伝染病です。  人は、BSE牛の脳や脊髄が含まれる食肉を食べたことでBSEに感染し、 変異型ヤコブ病を発症しています。変異型ヤコブ病の患者は、これまでに、 英国で百五十五名、フランス十一名のほか、日本を含む七カ国で一名ず つみいだされています。英国では一九九六年までに七十万頭くらいのBS E牛が食用にまわされたと推定されています。多くの人がBSEプリオンの 含まれた牛肉を食べた可能性があると推測されるのですが、なぜ、患者 の数がこのように少ないのか、その科学的理由はまったく分かっていませ ん。  発病する人の数は限られているとはいっても、変異型ヤコブ病ではほか の人に血液などを介して感染を広げるリスクが問題になっています。英国 では変異型ヤコブ病の人が発病する二、三年前に献血した血液を輸血さ れたために感染したと考えられる人が二名みつかっています。  さらに英国とフランスでは変異型ヤコブ病の人の血液から作られた血液 製剤が多くの人に投与されていたことが問題になっています。  このように、BSEには家畜伝染病としての牛に対するリスク、牛から人へ の感染リスク、人の間での伝播リスクと三つの側面があります。しかも、牛、 人のいずれでも、発病すれば百パーセント死亡します。ほかの食品中毒 などとは、まったく異なる難しい問題を抱えた病気ということを、はっきり認 識しなければなりません。 牛の間でのまん延防止  肉骨粉を牛に与えなければBSEは広がりません。科学的には単純な話 のはずですが、BSE牛の脳を健康な牛に食べさせた実験では、わずか一 ミリグラムの脳でも牛は感染しています。そのため、肉骨粉が市場に出回 っているかぎり、牛の餌に混入して交差汚染を起こすおそれがあります。 そこで、日本と欧州連合(EU)では肉骨粉の使用はいかなる動物に対して も完全に禁止されていて、まちがって混入する交差汚染を防ぐ対策が実 施されています。   日本でのBSE対策の経緯を振り返る  牛から人への感染防止は、屠畜場での全頭検査と特定危険部位(SR M)の除去の二つで行われています。  二〇〇一年九月に日本で最初のBSE牛が見いだされ、十月十八日か ら屠畜場での全頭検査と全月齢の牛についてのSRM除去が開始されま した。これより前、EUでは二〇〇〇年十月から十二ヵ月齢以上の牛につ いてSRM除去(回腸遠位部は全月齢)、二〇〇一年一月からは三十ヵ月 齢以上の牛すべてについての迅速BSE検査を始めていました。そこで当 初、日本でもEUと同じ条件での対策が予定されましたが、政治的決断で 月齢を問わず食用にまわるすべての牛について迅速BSE検査を行うこと になり、十月九日に厚生労働省は「食肉処理時のBSEスクリーニング検 査の対象拡大について」という通知で、全頭検査の方針を発表したので す。  振り返ってみると、当時は牛の月齢を確認するためのトレーサビリティ ・システムがなく、三十ヵ月齢以上という判断は牛の歯並びで行わなけ ればなりません。その際に起きたかもしれない混乱は全頭検査を採用し たことで回避できました。さらに、二十一ヵ月齢と二十三ヵ月齢という若い 牛での感染も確認できました。このようにして、現在では全頭検査は正し い判断であったと評価できます。  ところで、わずか一ヵ月という短期間で全国の食肉衛生検査所で一斉 に全頭検査が実施できたのは、一九七〇年代終わりから厚生省の難病 研究班で、ヤコブ病の研究、ついでスクレイピーの研究が始められ、そ の研究の蓄積を土台として、一九九七年からは農林水産省と厚生労働 省がそれぞれBSEについての全国的研究班を結成して研究を進めてい たためです。日本でBSE発生が確認されたとき、研究面では直ちに対応 できる状態であったのです。  一方、もうひとつの対策であるSRM除去は、当初は不十分なものでした。 私たちプリオン専門家は脊柱の中にある背根神経節もSRMに加えるべき と、考えていました。しかし厚生労働省は、OIEの基準がBSE低発生国の 場合には脊柱をSRMに加えていなかったことを参考にして、脊柱は取り 上げなかったのです。OIEが低発生国についても脊柱をSRMに指定した ことで、二〇〇四年二月にやっと脊柱の除去は実施されました。  屠畜・解体法にも問題がありました。この作業の際に、食肉にSRMが 混入するおそれのあるのは、牛を気絶させるために行われるスタンガン によるスタンニング、続いて気絶した牛の運動反射を防ぐために脳から ワイヤを差し込んで脊髄を破壊するピッシング、そして背骨を切断する 背割りの三つの段階です。スタンニングについては、現在の方法よりも 安全なものは出来ていませんので、その改善は今後の問題です。ピッシ ングはまだ七割くらいの屠畜場で続けられています。背割りの際には、 その前に脊髄を吸引除去することが必要ですが、その装置を開発しな ければならず、段階的に導入されて現在九割くらいの屠畜場で行われ るようになりました。  全頭検査と異なり、SRM除去に関連した対策は段階的に改善されて きているのです。  農場の牛での対策にも年月がかかりました。サーベイランスのため の死亡牛検査が百パーセントのレベルで行われるようになったのは二 〇〇四年四月です。生産履歴を管理するための、トレーサビリティ・シ ステムができあがったのは二〇〇三年十二月で、これが流通段階にま で広げられたのは、二〇〇四年十二月でした。この時点でBSE対策が ほぼ出そろったとみなせます。 二重の安全対策の意義  安全対策の柱のひとつは、SRMの除去を確実に行うことです。屠畜 ・解体時にSRMが食肉に混入することも防止しなければなりません。 SRM除去の実態について、厚生労働省はこれから定期的点検を行う 仕組みを構築することになりました。一方、BSE牛についての科学的 知見は限られており、まだみつかっていない未知のSRMも感染源とな ります。最近、日本の死亡牛検査では、末梢神経など、これまでSRM に指定されていない組織でも病原体が見つかっています。研究の進展 にともなって、ほかの組織でも病原体が見つかる可能性があります。 すなわち、食肉に混入するSRMと未知のSRMも感染源となりうるので す。全頭検査で陽性になった牛は、個体全部が焼却されますので、こ れらの感染源が食用にまわることはありません。  一方、全頭検査を行っても、潜伏期中の牛すべてを検出することは できません。これはBSEに限ったものではなく、どのような感染症でも 同じことです。BSEの場合には、検出限界以下のために検査で陰性と 判定される牛によるリスクは、SRM除去で低減しています。ただし、未 知のSRMや屠畜・解体時に混入するSRMによるリスクは残ります。し かし、検出限界以下の牛の場合には、脳に蓄積している病原体の量 が非常に低いため、これらがもたらすリスクは非常に低いものと推測 されます。  このようにして、全頭検査とSRM除去が相補って食肉の安全を確保 しているのです。すなわち、フェール・セーフ・システムということになり ます。 スクリーニングとサーベイランス  日本では、前に述べたように、屠畜場でのBSE検査、すなわち全頭 検査は感染牛を市場に出さないためのスクリーニングとみなしていま す。スクリーニングとは審査・選別のことです。ところが、二〇〇二年 十二月に米国でBSE牛が見いだされてから、BSE検査はスクリーニ ングではなく、サーベイランスのためであって、安全対策はサーベイ ランスとSRM除去で十分であるという見解が突然出てきました。その 背景を考えてみたいと思います。  サーベイランスとは、医学用語で感染症の発生を常時監視する対 策のことです。BSEでは農場での死亡牛検査がサーベイランスの中 心になっており、これにより、農場でのBSE汚染の実態を「推測」する ことができるわけです。さらに、サーベイランスを毎年続けることによ って、肉骨粉使用禁止措置の実効性を「推測」するのにも役立ちます。  米国のBSE対策は、農場ではリスク評価とサーベイランス、屠畜場 では SRM除去で行われています。BSE検査はサーベイランスのた めに行うものとみなしています。BSE検査の目的が日本は「スクリーニ ング」、米国は「サーベイランス」と、まったく異なっています。もちろん、 日本の屠畜場での全頭検査の成績は汚染の実態を把握するという 意味で、サーベイランスにも役立っていますが、それは副産物であっ て、主目的ではありません。日本でのサーベイランスは農場での死亡 牛検査が主体です。  日本と米国の間にはスクリーニングの必要性について根本的認識 の違いがあるのです。  国際的にはどうでしょうか。一九九六年に変異型ヤコブ病が初めて 見いだされた時、WHOの専門家会議では、BSEの症状を示した牛の いかなる部分・製品も人の食物チェーンに入れてはいけないという勧 告を出しました。EUの科学運営委員会は一九九九年に、消費者の 保護のための理想的レベルは「感染動物の排除」であって、これが 合理的に保証できない場合の次善の策は「SRMの除去」と述べてい ます。  二〇〇一年一月に、EUが三十ヵ月齢以上の牛のすべてにつ いて迅速BSE検査を行うことを決めた際、EUの消費者健康保護委員 長はEU議会で、この措置は感染牛をできるだけ市場に出さないこと の確保のためと発言しています。  今年の四月に、オランダで最初の 変異型ヤコブ病の患者が見つかった際に担当大臣は、屠畜場での 検査で陽性の牛はすべて市場には出していないのでオランダの牛 肉は安全であると言明しました。英国では三十ヶ月齢以上の牛をす べて殺処分しています。これらはすべてスクリーニングの考え方です 。スクリーニングをまったく行っていないのは、スイスだけです。  一方、BSEに係わる牛由来食品の輸出入の際の国際基準はOIE の国際動物衛生規約で決められています。そして、この中で取り上 げられている対策はリスク評価とサーベイランス、それに屠畜場での SRM除去です。スクリーニングの考えはまったく入っていません。WT Oの枠組みのもと、円滑な国際貿易を行う立場から、スクリーニング の考え方は取り上げられないのだと思います。  サーベイランスは最初に述べたように、汚染状況の把握と肉骨粉 対策の効果を確認するためのものです。その結果、BSE牛がほとん どいなければ屠畜場での対策はSRM除去だけで十分という考えで す。この考え方の根底には、集団としての家畜を相手としてきた獣 医学的視点があります。しかし、変異型ヤコブ病のような悲惨な病 気につながる問題の場合、人の健康保護の立場からは個人の安 全を考えるべきであり、それにはスクリーニングの考え方が必要です。  日本ではこの三年半の間に、獣医学と医学の両分野の専門家が 協力してBSEに係わる食の安全対策を確立してきました。その結 果、世界に誇れる安全対策ができてきました。しかし、このすぐれ た安全対策が、貿易のさまたげという観点から見直しを迫られて いるのです。 食品安全委員会での議論を振り返る  私は三年前、BSE問題に関する調査検討委員会の最後で、各委員が感想を述べた 際、リスク評価に我々科学者が参加できるようになることを高く評価するとともに、 科学者は責任を自覚しなければならないと発言しました。  今回、プリオン専門調査会での中間とりまとめと、月齢見直しの諮問についての審 議でもって、あらためて責任の重さを感じさせられました。  中間とりまとめでは、結論の文言に私たちの意見を正確に反映させることができな かったこと、そして、その文言が月齢見直しの諮問の根拠になったことは大変残念に 思っています。  月齢見直しは、米国産牛肉輸入再開を目的としたものと国民は受け止めていなが ら、専門調査会では、諮問の目的を尋ねた私たちの質問に対して国内対策における科 学的合理性の確保という行政側の回答しか得られず、納得がいかないまま、月齢見直 しの審議を行わざるを得なかったことも残念です。  一方、リスク評価の作業は私たちにとって初めての経験で、かなり苦労しました が、その結果、客観的な定性的評価の方式ができてきたことは大きな成果であり、こ の面では或る程度責任を果たせたものと考えています。 最後に結論について一言付け加えたいと思います。諮問の審議の過程でSRM除去の監 視や輸入配合飼料に関する問題点が明らかになり、それらの改善策が実施されること になりました。そこで私は結論に、検査月齢の線引きがもたらすリスクは非常に低い レベルの増加にとどまるという判断のほかに、一連の対策の実効性が確認された後に 月齢の線引きを行うのが合理的という判断を併記するよう、提案したのですが、諮問 は現在の対策のもとでのリスク評価を求めたものとみなされるため、結論ではなく、 留意すべき付帯意見として「おわりに」の項に入れられました。この付帯意見につい て、リスク管理側がこれから、どのように留意されるのか見守りたいと思います
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